聖書からのメッセージ

「主こそわが喜び、わが力」

 

  

牧師 栗﨑学 

 

  

「主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である。」ネヘミヤ8章10節




 

  

  これは2025年度松阪ルーテル教会の標語として掲げた言葉です。

  私たちはこの世で生きる中で、様々な喜びを経験いたします。私たちは普段、どこに喜びを見出しているでしょうか?少し分けて考えてみたいと思います。

  一つ目は自分自身の願いを満たす喜びです。ストレスの多い社会では、このような喜びも大切だと思います。美味しいものを食べたり、欲しいものを手に入れたり、大好きな趣味の時間を過ごす時には、誰もが喜びを感じることができます。このような喜びは、日々の生活の中に喜びと楽しみを与え、ストレスを軽減し、またがんばるための活力を与えてくれると思います。ただこの喜びは自己完結的であり、また一時的です。

  二つ目は他者との関係における喜びです。自分一人だけで喜ぶのではなく、他者と共に喜びを分かち合えることもまた違った喜びがあります。気の合う仲間と共に過ごす時間や、愛する者の存在を喜び合う。互いに相手を受け入れ合い、自分が自分でいることのできる喜び。そこには信頼や絆、愛、感謝などが生じます。ただこのような人間関係における喜びも、時に難しさを覚える場合もあり、永続するものではありません。

  そこでぜひ考えていただきたい三つ目の喜びは、神との関係における喜びです。神は私たち人間の目には見えませんが、聖書を通して、時代を超え、場所を超えて、今日の私たちに語りかけてくださいます。神は私たちがたとえ罪を犯し、神に背を向けてしまったとしても、そんな罪びとをも愛し、私たちを罪から救うために、独り子イエスを与えてくださいました。主イエス・キリストは、十字架によって私たちに真実の愛を示してくださいました。この方によって罪を赦され、救いをいただくということは、何にも代えがたい大きな喜びなのです。そしてこの喜びは、私たちが神を信じ続ける限り、永遠に続くものです。私たちにとっての本当の喜び、それはこの世で経験する一時的なものではなく、私たちの造り主である神のもとに立ち返る時に得られる本質的な喜びです。

  毎週教会でなされる礼拝は、神が私たちにみ言葉の糧を与え、祝福と恵みを与えてくださる場です。礼拝は主が私たちの魂の安息のために備えてくださった日です。ですからクリスチャン生活とは、この喜びに満たされ、神を賛美しつつ歩むことができるものなのです。ぜひあなたもこの喜びを受け取ってください。

  「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」(Ⅰテサロニケ5:16-18)

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